ミハイル・プレトニョフのピアノリサイタル。2025年6月7日、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール。大きな会場満員のお客様でした。

わたしにとって、ミハイル・プレトニョフは、初の生で聴くピアニストです。
きのゆりさんの詩のワードにあったプレトニョフ
なぜ、突然ミハイル・プレトニョフのチケットをポチッたかといえば、チケットぴあのニュースレターで、「ミハイル・プレトニョフ」の名前をみたときに、20代のころに愛読していた「詩とメルヘン」(サンリオ出版・やなせたかし編)のある号に掲載されていたきのゆりさんの詩の一節に「プレトニョフみたいな○○」という表現があったことを思い出したから。
抒情詩人きのゆりさんは、毎号のレギュラー作家のように詩とメルヘンに載っていました。
ふわりと心のひだをみずみずしい言葉で表現されるので、わたしが尊敬する詩人です。
ちなみに、私も自分の詩を数回、「詩とメルヘン」に掲載していただきました。
プロの画家、イラスト作家が、詩に絵をつけてくださって感激でした。
この月刊誌のおかげで、牧村慶子さん、葉祥明さんや林静一さん、永田萌さんなど、素晴らしい絵を身近に眺めることができました。
その思い出を胸に、聴くミハイル・プレトニョフの演奏。

当初、オール・ベートーヴェンソナタのプログラムでしたが、プログラムが変更されて、後半はグリーグの抒情小曲集でした。

第1部はベートーヴェンの「悲愴」「月光」ソナタ
以下は、非常に個人的な感想です。
悲愴ソナタの冒頭~音符を完全に昇華させた独白。
激高しすぎず、どこか詩的。
ここからもう、後半のグリーグにリンクする詩情が感じられました。
「悲愴」「月光」どちらにも感じたことは、人間の苦悩を、時間で洗い流したような達観と美しさ。円熟の極みともいえるのでは。
グリーグの抒情小曲集
後半は、表題がついた小品が次々と現れる楽しさ。
絵本をめくるとまた別の次の絵があるような感覚。
その描写が精緻なタッチで、小鳥は空でさえずり、小川は清らかに流れて、北欧の空気を味わいました。
ほかのピアノリサイタルのときよりもステージと客席の照明がかなり暗くて、ろくそくの灯りに照らされたお部屋でしみじみと心に聴かせる音楽のよう。
最後の一音まで、波を打ったように静かなホール。
音の響きを味わうお客さんの集中力がすごかったです。
アンコール曲は圧巻のテクニックと晴れやかさ
アンコールは、グリーグの「民俗生活の情景~ピアノのためのユモレスク」謝肉祭op.19-3

初めて聴きましたが、なかなかの大曲で、秘めていたものが一気に噴き出したようなピアノでした。
会場がスタンディングオベーションで拍手がやまないので、おそらく弾くつもりがなかったショパンのノクターンop9-2。
ここでは、言葉で詩をささやくようなノクターン。せりふ回しが自由で。
そして美しさが絶妙すぎて、泣けてくる。なにこれ?というはじめてのショパン。
最後のカデンツァは、心ゆくまでのたっぷりの回数、指をまわして、静かに音を閉じました。
次回も聴きたいプレトニョフ
知り合いのピアノの先生にはなぜか出会わなかったコンサート。
でも、会場いっぱいのお客様たち。男性も女性がたくさんで、いろいろな職業の人が来られているようです。
市井の人々に長く愛されているプレトニョフというピアニストは、しあわせな人だと思う。
現在は、政治的な理由で、ロシアを去ってスイスに暮らしているそうだ。
次の来日もとても楽しみです。
神戸北町のしばたピアノ教室 柴田 幸代