コロナ期は、中止されていた学校内の合唱コンクール。
生徒が伴奏をする合唱コンクールを数年ぶりに見てきました。
コロナ期を経て
たしか現在の高1生は、中学生時代に合唱コンクールを経験せずに中学校を終えたと思います。
密になってはいけない。
お弁当は各自の机で無言で前を向いて食べる。
音楽の時間も歌は歌わない。
小学6年生の時の卒業式でも、マスクをして生徒は歌わず、なぜか先生が歌うのを聴く~という変なプログラムもありました。
卒業式の歌を講堂ではなく、運動場でマスクをして歌う、というのもあったと思います。
その後、少しずつ形をかえて日常に戻そうとする期間を経て、やっとみんなで歌える合唱が戻ってきました。
中学3年生の演奏
合唱の経験が少ない現中3生は、中1からの経験の積み重ねがきちんとできていないから、と勝手に考えていて、正直あまり歌の出来ばえに期待せずに行きました。
中3には、生徒が伴奏者として演奏するのでそれを楽しみに行きました。
近くのO中学校3年生のプログラム。
課題曲は、「名づけられた葉」(新川和江作詞 飯沼信義作曲)
自由曲は、5クラスが抽選の順番で、「青鷺」「虹」「信じる」「花になれ」「Gift」という順で歌いました。
教室の生徒は、課題曲の「名づけられた葉」を弾いた子と、自由曲の「青鷺」を弾いた2人です。
かつては、1クラス内でも伴奏希望者が多くて、5,6人の中でのオーディションを勝ち抜いて伴奏者になっていましたが、コロナ期の合唱がなかった数年間に、モチベーションを無くしてピアノを続けなかった子どもも多いようです。
なので、自由曲を弾いた子は、ちょうどクラスで2人の子が立候補や推薦を受けてすんなりと決まったようです。
課題曲を弾いた子は、中学生になるときにピアノをやめていたのですが、クラス内に伴奏をする該当者がいなくて、担任の先生に頼まれて引き受けた、と、この伴奏の練習期間にレッスンを再開しました。
青鷺という曲
「青鷺」は、文体も古典的で、近代文学の初期の頃のような情緒感の歌詞と曲です。短調だし。
今の中学生がこれ歌う?と、ツッコミたくなる音楽と歌詞。
青鷺は、冷たい風にじっと耐えながら、息絶えてしまう~という内容の歌詞です。
音楽の先生がイチ押しの曲だったから決まったそうです。
非常に格調高い難しい歌です。
過去の生徒のお手本がある
長年ピアノを教えていると、合唱の名曲については、かつての生徒の誰かが弾いたことがある曲である場合が多いです。
10年以上使っているスマホのおかげで、クラウドのEvernoteアプリに、既に大人になって教室を卒業した生徒の伴奏の演奏録音が残っています。
この「青鷺」は、2016年に、進学校に進んだ男子生徒が、高校での合唱コンクールで「青鷺」を伴奏していた録音が出てきました。レッスン中に先輩の演奏を現生徒と一緒に懐かしく聴きました。
男子も混声四部合唱をこなす
「青鷺」は、混声四部の合唱曲です。
男子パートも二部に分かれます。
今回驚いたのは、中学生の男子の声量と音程の正確さ。女子ももちろんのこと。
歌、うまいやん。
男子に関しては、音程外して、がなる声で歌うのを想像していました。
この校区の小学校が、全国大会に出場する合唱団があって、ほとんどが校区の公立中学校に行きます。
そういう環境なので、歌を歌える人が比較的多いのですが、かつてはもっと粗かったです。
今回、ここまできちんとそろえて、しかも細かいニュアンスを考えた表現力で、自分たちの曲をとても大切にしていることが伝わって感動しました。
どの学級もハイレベルな歌唱力でした
結果、青鷺は、金賞を取りました。
けれども、そのほかのクラスも、基本的な発声が力が上手く抜けた美しい歌い方をしていて、持ち味がそれぞれあって、ハーモニーのバランスが良くて、気持ちも合わせていて、ほんとにすごい!
なんて良い子たちなんでしょう!(←近所のおばちゃん目線)
音楽の先生も担任の先生も、とても喜ばれていることと思います。
こどもの成長をたのしみに見守りたいです
公立の町の中学生の学校での姿を見たのは、久しぶりでした。
社会人になったわが子の中学時代のことを思い出してみたら、ここまでは出来ていなかったです。
時代とともに、情報ツールや、効率のよい学習方法、コミュニケーションのスキルなどが大きく進化しているのだと思います。
力をつけている中学生を見ていて、とても誇らしく嬉しい気持ちになりました。
このように子どもたちが、多くを吸収して力を発揮できるのは、落ち着いた環境や家庭や学校の適切なサポートがあってのこと。
わたしもこれからも町のピアノ教室として、こどもを見守りながら育成の手助けをしていきたいと、あらためて思いました。
神戸北町のしばたピアノ教室 柴田 幸代